Wikipedia執筆で磨かれる「問いを立てる力」

問われるのは「問う力」(日経2023.7.11)

「AI時代に必要なのは問いを立てる能力」という内容の新聞記事を読みました。問いに対する「答え」ではなく、「問い」そのものを立てる力が大事、ということです。「答え」は今の時代、生成AIでそれなりに得ることができますが、意味のある「答え」を得るためには、意味のある「問い」を立てる必要があるからです。

意味のある問いをたてようとすると、ある程度の知見や経験がないと、現実にはなかなか難しい、とも書いてありました。何も予備知識なしでは問いも立てにくいのです。ここに知見や経験の豊富なシニア層の活躍する場があります。

Wikipediaに記事を書くとは、自分の中の「問い」に対する「答え」をみつけることでもあります。日常のニュースをウェブや新聞などで知り、そこで疑問に思ったことを調べ、答えが得られなければ自分でより深く調べてみる、という流れです。Wikipediaを始めるまでは、ある程度答えが得られればそれで良しとし、それ以上進むことはありませんでした。しかし今はWikipediaに記事を書くことで、更に他の疑問が生じたり、別の観点から疑問に向きあったりするようになりました。言語間のゆれも常にチェックしているので、「問い」は果てしなく続きます。

私は長年司書として図書館の仕事をしてきましたが、自分で実際に図書館を頻繁に利用するようになったのは、Wikipediaの執筆を始めてからでした。Wikipediaの記事にはその内容を誰でも検証できる出典を付さなければなりません。出典は自分の頭の中にあるわけではなく、それを客観的に記述した本なり電子情報なりが必要で、それを探しに図書館へ行くことになる、というわけです。

話がうまくまとめられませんが、Wikipediaを始めてからニュースに対する見方がずいぶん変わってきた、というのは実感です。この点についてもうすこし考え続けてみようと思います。

■参考