Wikipediaブンガク11「橋本治」参加記

県立神奈川近代文学館、2024年4月14日(筆者による撮影)

2024年4月14日日曜日、Wikipediaブンガクに参加するために横浜に出かけました。午前中の会場は港の見える丘公園にある、県立神奈川近代文学館で、3月30日から6月2日まで「帰ってきた橋本治展」を開催中です。今年は桜が遅かったので、花吹雪の中を会場に向かいました。

テーマの作家橋本治は1948年に東京に生まれ、東京大学に入学。東大紛争最中の2年生の時、駒場祭ポスターに書いた「とめてくれるなおっかさん~」で一躍有名になり、当時高校生だった私もニュースでそのポスターを知りました。卒業後橋本はイラストレーターを経て作家として活躍しましたが、私は彼の作品を読んだことはなく、編み物もする変わった人、くらいの印象でした。

橋本は2019年に没し、資料は神奈川近代文学館に寄贈され、今回の展示開催に至ったそうです。10時に会場に集まった10名ほどの参加者は、学芸員によるギャラリートークで展示の見どころなどをうかがった後に、展示室に向かいました。橋本は学生時代歌舞伎座に通い詰めたそうで、卒論も歌舞伎役者四世鶴屋南北とのこと。そうした古典芸能の素養がイラストレーターとしての仕事や小説に活かされているのが随所に感じられました。しかし一番驚いたのは、小説の下調べとして作成した極めて詳細な年表類や、古語と現代語の大量の単語カード、そして登場人物の系図でした。『桃尻娘』など軟弱なテーマの作家と思いきや、舞台裏では綿密で根気のいる作業を長年続けていたことが、実によく伝わってきました。原稿用紙を埋めている特徴ある筆跡や、色使いの見事なニット作品など、現物だからこそ伝わる展示に何度も感激しました。

さて午後は県立図書館なので、バスで桜木町へ移動し、掃部山公園の散り始めた桜の中でランチ。13:30から図書館4階のスペースでWikipediaの編集です。講師から編集についての説明を一通り聞いた後、自己紹介をしてからグループに分かれ、図書館で準備してくださった資料などを参考に早速編集に取り掛かりました。

私は「橋本治」の記事の「来歴・人物」の項目がだらだらしているのが気になったので、そこの部分を自分の下書きページにコピーして内容を整えました。およそ10年ごとくらいに内容をまとめ、出典がつけられるものは追加していきました。文学館の展示図録がずいぶん役にたちましたが、編み物をいつから始めていたかは、図録ではわかりません。オブザーバー参加の仲俣暁生さんに相談すると、すぐに平凡パンチの記事を紹介してくださいました。それは大宅壮一文庫から鴨志田浩さんがたくさん用意してくださった中にあったので、それを典拠に記事を整えました。脚注の付け方でよくわからなかった部分は、講師のAraisyoheiさんが丁寧に教えてくださいました。

終了時刻が迫ったので、下書きを本文該当部分と差し替えてミッション一応完結。出典が足りないところもありますが、それは追々整えられていくでしょう。振り返りの発表を聞くと、他の方たちもそれぞれに興味のある点に特化し、集中して作業されていたのがよくわかりました。これぞ集合知の賜物です。

会場をかたずけてから皆で横浜駅に移動し、懇親会。本日の出来不出来やら文学界のあれこれやら将来の企画などについて、時間を忘れて話が弾みました。

ウクライナの文化外交月間2024に参加

ウクライナの文化外交月間2024」に参加しました。2022年以来2回目です。翻訳した「タマラ・ドゥーダ」の記事が大変に興味深かったので、Diffに記事を書きました。その後「カテリーナ・カリツコ」も翻訳して出しました。同じ作家でも全く違う方向性の人物でした。

■参考

WikiGap2024参加記

山川菊栄の航跡:「私の運動史」と著作目録』ドメス出版、1979

WikiGapには2019年以来何回か参加していましたが、このところオンラインイベントが続いていました。今年は5年ぶりにオフライン開催との案内が来たので、早速申し込みました。3月3日、神奈川県立図書館で、テーマは「山川菊栄」とのこと。なじみのない名前でしたが、近くの図書館で関連する本を取り寄せてみると、戦前から戦後にかけて女性の権利拡張のために尽力した偉大な人物であることがわかってきました。

イベントのページには「加筆や出典追加が望まれる項目」が出ていたので、その中から「ベッシー・ビアティー」を選び、英語版ウィキペディアから翻訳してみました。このアメリカのジャーナリストは、1917年に仲間とロシアへ取材旅行に出かけ、ロシア革命の最中の重要人物から貴重な情報を得て『ロシアの赤い心臓』という本にまとめました。山川はその中から「革命ロシアと婦人」という章を翻訳し、他の人の文章と併せて『黎明期のロシア』という本を1923年に出版しているのです。山川は1912年に女子英学塾(現:津田塾大学)を卒業し、数多くの英文記事を翻訳して日本に紹介していたのでした。『黎明期のロシア』はNDLデジタルコレクションに入っているので、全文を読むことができます。

神奈川県立図書館(筆者撮影、2024.3.3)

さてイベント当日になり、電車に乗って紅葉山の神奈川県立図書館へ向かいました。午前中は山川菊栄記念会の方から山川について概要をうかがいましたが、戦前にもこのようなアクティブな女性がいたことに改めて感銘を受けました。また山川の資料が没後に神奈川県立婦人総合センターへ納められ、その後県立図書館へ移管された経緯も、県立図書館の方から詳しく説明がありました。現在は図書館内に紹介コーナーが設けられ、様々な機会に活用されているそうです。

掃部山公園にある井伊直弼銅像(筆者撮影、2024.3.3)

ランチ休憩には隣の掃部山公園でおにぎりを食べました。春らしい暖かい空気の中で井伊直弼銅像も気持ちよさそうでした。

午後はいよいよエディタソンです。20名ほどの参加者は男女半々、Swaneeさん、のりまきさん、さえぼーさんなど超ベテランから初心者まで様々な顔ぶれでした。中には北海道や新潟からはるばるいらした方も。編集作業では、初心者の方たちは「山川菊栄」「山川菊栄賞」などのすでにある項目に出典を追加する作業に取り組まれました。私は準備してきた「ベッシー・ビアティー」の記事を公開した後は、初心者グループのサポートに回りました。いろいろな質問が飛び交い、サポート役のメンバーがそれぞれ対応し、あっというまの終了時刻。最終報告によると新規記事6件、加筆記事28件、全参加者27名となりました。どなたも何かしら記事を書いたり加筆したりして満足そうな笑顔、笑顔。参加記念のWikiGapバッチやステッカーをいただき、散会となりました。

当日資料とWikiGapバッチ、ステッカー

それから横浜駅まで繰り出して中華料理店で懇親会です。ほとんどの参加者が席に加わり、これまでの経験をお互い披露したりしてなごやかに時を過ごしました。後日参加記を英語版Diffに書いておきました。

さてこのオフラインイベントとは別に、オンラインのWikiGap2024も3日から8日まで併せて開催されました。こちらは現地参加できない方が中心でしたが、私も山川菊栄以外に準備していた記事を出しました。1月から読み進めている『砂漠の林檎:イスラエル短篇傑作選』の中から、「サヴィヨン・リーブレヒト」と「イリット・アミエル」という二人の女性作家の記事です。イスラエル作家の作品を読んだのは初めてでしたが、ヨーロッパのホロコーストを逃れてパレスチナにたどり着き、イスラエル建国を経て現在に至る様々な人生を知りました。本はまだまだ先があるので、これからも作家を追加していく予定です。

8日までまだ日数があったので、Diffで知ったアメリカのウィキペディアン、アニー・ラウダさんの記事を英語版から翻訳して出しました。1999年生まれのZ世代であるラウダさんは、大学2年生の時パンデミックとなり、「デプス・オブ・ウィキペディア」というSNSアカウントを作ってコメディタッチでウィキペディアを紹介したそうです。それが全米を横断するツアーにも発展し、インターネット上での有名人となりました。こうしたダイナミックな若者の行動力に圧倒され、世界を見る眼がまた一つ広がった思いです。

このオンラインイベントは最終的に参加者9名、新規作成21件、加筆19件という結果でした。新規作成の内いくつもが「新しい記事」に選ばれ、めでたいことでした。

■参考

※オフラインの主催はWikiGapかながわ実行委員会、共催は神奈川県立図書館、後援は山川菊栄記念会でした。



            

ESEAPとは

ESEAPロゴ (Exec8, CC BY-SA 4.0, ウィキメディア・コモンズ経由で)

ウィキメディア運動は国境を越えて世界中で展開されているのですが、世界を8つの地域に分けた協働組織もあります。それは北アメリカ(アメリカ合衆国、カナダ)、ヨーロッパ北部と西部(NWE)、ラテンアメリカカリブ海地域(LAC)、ヨーロッパ中部と東部(CEE)、サハラ以南アフリカ、中東とアフリカ北部(MENA)、東アジアと東南アジアならびに太平洋地域(ESEAP)、南アジア、という区分で、日本は「東アジアと東南アジアならびに太平洋地域(ESEAP)」に含まれます。

このESEAP地域の情報は、Metaの「ESEAPハブ」ページにまとめられているので、最初の部分を引用します。

ウィキメディアの東アジア、東南アジア、太平洋地区地域協定 (ESEAP) とは地域の協働組織で国別やウィキメディアの提携団体として以下が参加します。インドネシア、台湾、オーストラリア、韓国、タイ、フィリピン、マレーシア、ミャンマーニュージーランド、香港、ベトナム。以下の国別ならびに非公式なコミュニティにも会員の資格があります。ブルネイカンボジア、中国、日本、ラオスマカオ、モンゴル、パプアニューギニアシンガポール東チモール、太平洋諸島地域ミクロネシア連邦、フィジーキリバスマーシャル諸島ナウルパラオサモアソロモン諸島、トンガ、ツバル、バヌアツ。

ESEAPは数年の準備期間の後、2018年に最初の会合インドネシアのバリで開催しました。2019年にはWikimaniaWikimedia Summitに合わせた会合と、タイのバンコクでの戦略会議が開かれました。2020年から2023年は主にリモートで数多くの会合が開催されたほか、2021年にはWikimaniaに合わせた会合、2022年にはオーストラリアのシドニーでハイブリッド会合、2023年にはシンガポールで戦略会議が開催されました。それぞれの詳細は次のサイトにまとめられています。

そして2024年には、5月10日から12日までマレーシアのコタキナバルにおいて「ESEAPカンファレンス2024」が開催されます。カンファレンスのメインテーマは 「地平線を超えたコラボ」(Collaboration beyond the horizon)です。

■参考

マレーシアのWikiGap

セマイ語の教師が母語ウィキペディアをインキュベータで編集する (Syafiq.y, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)

WikiGapエディタソンが3/3に横浜であるので、関連記事をDiffで探したらマレーシアのがあったので翻訳しました。多民族からなる国の多言語コミュニティの様子を垣間見ることができました。原著者Tofeikuさんは昨年のウィキメディアン・オブ・ザ・イヤーに選ばれています。

日本でこれまでに開催されたWikiGapには何回か参加してきましたが、いずれも日本人あるいは外国人の女性の記事を普通に立項したり翻訳したりしただけで、言語について考えたことはありませんでした。しかしマレーシアではマレー語以外に多くの固有言語があり、それぞれの言語のウィキペディアがあるわけでなく、新たにそうした言語版のウィキペディアを立ち上げるところから始められていました。その際には「ウィキメディア・インキュベーター」という、新たな言語での試験運用を行う場所が用意されているのを知りました。

こうした多言語のコミュニティそれぞれに出向き、地域のウィキメディアンを丁寧に育てているTofeikuさんの活動を知り、ウィキメディア運動の意義深さを感じ取ることができました。

■追記
原著者のTofeikuさんに、翻訳したことを伝えようと調べたら、Tofeikuさんのウィクショナリーページで会話できるというので、メッセージを送りました。
ms.wiktionary.orgPerbincangan pengguna:Tofeiku

Diff「ウィキメディアの世界」シリーズ

ウィキメディアの世界」のロゴ (Uraniwa, CC0)

ウィキペディアもその一つである「ウィキメディア運動」って、なかなか全貌がわかりにくいのですが、個別の活動を紹介するシリーズをEugene Ormandyさんが英語版Diffで始められたので、日本語に訳してみました。ぜひ覗いてみてください。今後も追加していく予定です。
ウィキメディアの世界 1
アフリカデー・キャンペーン2023;トルコの学生ウィキメディアン・クラブ;バングラディシュのウィキペディア
ウィキメディアの世界 2
アンギカ語保存の取り組み;教育におけるウィキメディア運動の情報を得るために;日本にはフェアユースがないので、素晴らしいパロディ作品が生れた
ウィキメディアの世界 3
バリの文化をウィキメディアプロジェクトで保存する;ウィキメディアンがウィキメディアンにインタビュー;ウィキメディア・キュートネス協会

トルコの記事を書く

地震後にトルコと/あるいはシリアに支援又は哀悼を送った国々 (赤はトルコとシリア) (Kurmanbek, CC0, ウィキメディア・コモンズ経由で)

2023年トルコ・シリア地震への人道支援をまとめた記事がWikipedia英語版にあったので翻訳したところ、本日の「新しい記事」に選ばれました。この記事は支援を提供した100か国以上の国々一つ一つについて、どのような支援を行ったのか具体的に出典付きでまとめられています。地震発生直後から世界各国の救助隊と救助犬が駆けつけた様子が、ドキュメンタリー映画を見ているかのように延々と記録されていました。

昨2023年2月に地震が起きた時には、ウィキペディアンとして何かできないかと考えた末に「ガズィアンテプ空港」の記事を訳しただけで終わっていました。そこで今回はかなり長い記事でしたが、できるところまででも訳してみようと取り掛かりました。なにしろたくさんの国が支援に参加しているので大変でしたが、何とか目途をつけて公開しました。その中で気が付いたことをメモしておきます(順不同)。

  • たくさんの国が地震発生の2月6日に即日救援隊を派遣している。また支援物資を送り、義援金を集めている。
  • 救援隊の多くは救助犬も同伴している。犬についてはその名前も載せたメキシコの例もあった。
  • 救援隊には作業部隊や医師の他、心理学者、薬剤師、物流専門家、中には情報管理専門家なども派遣された。
  • インド洋の島国モルディブは、支援物資として自国産ツナ缶100万個を送った。
  • 中東のカタールは、前年のFIFAワールドカップで使用したキャビネットとキャラバン(小屋と移動住宅)約1万個を、被災者の避難所として提供し、2月から6月までかけて被災地に輸送された。
  • 各国元首の多くが哀悼の意を表明しているが、ツイッターを使った例が多かった。
  • スペインは地中海に配備されていた海軍の軍艦を、人や物資の移動と瓦礫の移動のためにトルコに派遣した。
  • シリアへの支援の様相に国際関係の綾が読み取れる。
  • もとにした英語版は国名のABC順に記事がでていたが、日本語版では地域別五十音順に並べなおした。ちなみにトルコ語版をみてみたら、地域別ABC順だった。

この記事を訳したのは、ウィキメディア日本トルコ友好会のエディタソンで提示されたリストにはいっていたからです。この友好会には昨年参加したのですが、今年になって英語版Diffに「2023年トルコのウィキメディアン年報」という記事がでているのがわかりました。トルコのことは一般常識以上には知らなかったので、まずこれを翻訳してDiffに出したところ、年間を通じトルコのウィキメディアンは活発な活動をしているのがよくわかりました。

その中の4月のイベントにトロイ博物館が出てきましたが、その「トロイ博物館」が日本語版ウィキペディアに無いことがわかったので、これも英語版から訳してみました。ギリシャ神話に出てくるトロイの遺跡をシュリーマンが発掘したのは19世紀末の事。子どものころ何かの本で見て以来、トロイは気になっていました。日本から観光客もたくさん訪問したでしょうけれど、そこにトロイ博物館ができたのは2018年、つい最近の話なので、ウィキペディア日本語版にはまだなかったのでしょう。短い記事でしたのでサクサク訳し、丁度2月5日から11日まで友好会のエディタソンをやるというので、その期間中に公開しました。

エディタソンでは翻訳が望まれる記事の一覧が提示されています。せっかくなのでその中をみていき、このごろは詩人に気持ちが向いているので、「ニガール・ハヌム」という100年ほど前の女性詩人の記事を訳しました。当初は伝統的な詩の様式で書いていたのが、次第に西欧の様式をとりいれていった、というところに興味を持ちました。次にリストの男性も見て行くと、「ユスフ・イサ・ハリム」という詩人で言語学者がいたので、こちらも訳しました。ルーマニア語トルコ語の辞書を初めて作った人物だそうですが、「クリミア・タタール人」というカテゴリーがあるのを初めて知りました。中央アジアの複雑な歴史を垣間見た思いがします。

このように二人ともなかなか興味深かったですが、いずれも短い記事だったので少し物足りなく、再びリストを見て行って見つけたのが「2023年トルコ・シリア地震への人道支援」の記事でした。元の文章は「いつ誰がどうした」という定型が多かったので、翻訳自体はほとんど問題なかったですが、多くの固有名詞に対応する日本語が無く、新たに訳語を作り、ついでなのでWikidataに登録し、英語版への仮リンクをはる、という作業を延々と続けました。時間はかかりましたが時間のたっぷりあるシニアの出番だと思い、やりがいがある作業でした。83歳で関東大震災を被災した渋沢栄一が、深谷に避難するように進言する親族らを一蹴し、先頭に立って震災復興に奮闘した、という史実が頭の片隅にありました。

■追記
ウィキメディア日本トルコ友好会の今回のエディタソンについて、Eugen Ormandyさんがレポートを英語版Diffに書かれていましたので、リンクを張っておきます。

また、Ormandyさんは2017年のトルコのウィキペディア遮断についても、状況をまとめたブログを書かれているので、こちらもリンクを張っておきます。

■更新履歴

  • 2024.2.23: 「追記」を追加