2022-01-01から1年間の記事一覧

「古賀書店」の記事ができるまで

古賀書店閉店の貼り紙 2022年12月27日筆者撮影東京神田神保町にある古賀書店について知ったのは、おそらく40年以上前のことだと思います。音楽書の専門古書店で、本や雑誌のほかに楽譜も置いてありました。奥の方にはオーケストラのスコア(総譜)もあり、外…

ウィキペディア20年イベント

Wikipedia 20 JPN infromation paper japanese(Araisyohei, CC BY-SA 4.0 , ウィキメディア・コモンズ経由で)ウィキペディアの執筆は2016年が1件、2018年が4件、2019年が19件、2020年が33件と、右肩上がりで伸びてきました。2020年はコロナ禍で在宅勤務に…

ダンサー宮操子の物語

宮操子、ハチ、成岡正久小隊長(作者不明、Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)WikiGapエディタソンで公開したダンサー宮操子(1907-2009)について、それまではウィキペディアで名前を検索すると本人の記事は無く、パートナーの江口隆哉(1900…

スウェーデン大使館でWikiGap

WikiGapのTシャツとマグカップいろいろのイベントに参加し何人ものウィキペディアンと出会った2019年ですが、さらに9月にはWikiGapエディタソンがありました。WikiGapとは、「Wikipedia上の人物に関する記事のうち、女性の伝記は2割程度だという状況を解消し…

さまざまなウィキペディアンと出会う

恩納村の名勝「万座毛」 筆者撮影2019-02-05ウィキペディア執筆は2016年以来ほとんど進んでいなかったのですが、2018年の図書館総合展でOpenGLAM JAPAN主催の「ウィキペディア・OpenStreetMap編集の実際」というイベントを見つけて申し込み、10月31日会場の…

最初は野上弥生子の小説『迷路』

野上弥生子『迷路』岩波文庫上下巻野上弥生子(1885ー1985)の名前は雑誌や新聞に彼女が書いた随筆でしか知らず、小説を読んだことはありませんでした。その野上が70歳過ぎに初めて中国を訪れ、毛沢東の活動の拠点であった延安へ行った話を新聞で読み、興味を…

OpenGLAM JAPANシンポジウム参加

東京工業大学博物館・百年記念館(Fumihiro Kato, CC BY 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0, ウィキメディア・コモンズ経由で)ウィキペディアの編集方法について、一人でわかることは一通りやってみましたが、やはりどこかで誰かに教えてほし…

ウィキペディアことはじめ

ウィキペディアのロゴ(Wikimedia Foundation, CC BY-SA 3.0 <,">https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, ウィキメディア・コモンズ経由で)渋沢栄一記念財団の仕事でインターネットでの情報発信にかなり親しんできた2016年の年頭、そろそろウィ…

集合知を知る

大向一輝『ウェブがわかる本』「集合知」という概念を知ったのは、2005年から仕事をするようになった渋沢栄一記念財団でのことでした。その頃財団では業務に関係する勉強会が頻繁に行なわれていて、確か2006年頃開催された、渋沢敬三に関する研究がテーマの…

百科事典との出会い

ウィキペディアは百科事典なので、最初は百科事典の話です。子どものころ大学生の兄の部屋に、平凡社の世界大百科事典がありました。背表紙がずらっと並んでいたのを覚えています。中学生のころ家を建て替えたとき、応接間の本棚にブリタニカの百科事典がず…

ごあいさつ

古希祝いにいただいたスカーフウィキペディアの執筆を始めてから6年ほどになりました。これまでに新規および翻訳記事の作成と、既存の記事への大幅加筆を合計100件余り行ってきました。ここで一度立ち止まり、これまでの歩みをふりかえって書き留めておこう…