トルコの記事を書く

地震後にトルコと/あるいはシリアに支援又は哀悼を送った国々 (赤はトルコとシリア) (Kurmanbek, CC0, ウィキメディア・コモンズ経由で)

2023年トルコ・シリア地震への人道支援をまとめた記事がWikipedia英語版にあったので翻訳したところ、本日の「新しい記事」に選ばれました。この記事は支援を提供した100か国以上の国々一つ一つについて、どのような支援を行ったのか具体的に出典付きでまとめられています。地震発生直後から世界各国の救助隊と救助犬が駆けつけた様子が、ドキュメンタリー映画を見ているかのように延々と記録されていました。

昨2023年2月に地震が起きた時には、ウィキペディアンとして何かできないかと考えた末に「ガズィアンテプ空港」の記事を訳しただけで終わっていました。そこで今回はかなり長い記事でしたが、できるところまででも訳してみようと取り掛かりました。なにしろたくさんの国が支援に参加しているので大変でしたが、何とか目途をつけて公開しました。その中で気が付いたことをメモしておきます(順不同)。

  • たくさんの国が地震発生の2月6日に即日救援隊を派遣している。また支援物資を送り、義援金を集めている。
  • 救援隊の多くは救助犬も同伴している。犬についてはその名前も載せたメキシコの例もあった。
  • 救援隊には作業部隊や医師の他、心理学者、薬剤師、物流専門家、中には情報管理専門家なども派遣された。
  • インド洋の島国モルディブは、支援物資として自国産ツナ缶100万個を送った。
  • 中東のカタールは、前年のFIFAワールドカップで使用したキャビネットとキャラバン(小屋と移動住宅)約1万個を、被災者の避難所として提供し、2月から6月までかけて被災地に輸送された。
  • 各国元首の多くが哀悼の意を表明しているが、ツイッターを使った例が多かった。
  • スペインは地中海に配備されていた海軍の軍艦を、人や物資の移動と瓦礫の移動のためにトルコに派遣した。
  • シリアへの支援の様相に国際関係の綾が読み取れる。
  • もとにした英語版は国名のABC順に記事がでていたが、日本語版では地域別五十音順に並べなおした。ちなみにトルコ語版をみてみたら、地域別ABC順だった。

この記事を訳したのは、ウィキメディア日本トルコ友好会のエディタソンで提示されたリストにはいっていたからです。この友好会には昨年参加したのですが、今年になって英語版Diffに「2023年トルコのウィキメディアン年報」という記事がでているのがわかりました。トルコのことは一般常識以上には知らなかったので、まずこれを翻訳してDiffに出したところ、年間を通じトルコのウィキメディアンは活発な活動をしているのがよくわかりました。

その中の4月のイベントにトロイ博物館が出てきましたが、その「トロイ博物館」が日本語版ウィキペディアに無いことがわかったので、これも英語版から訳してみました。ギリシャ神話に出てくるトロイの遺跡をシュリーマンが発掘したのは19世紀末の事。子どものころ何かの本で見て以来、トロイは気になっていました。日本から観光客もたくさん訪問したでしょうけれど、そこにトロイ博物館ができたのは2018年、つい最近の話なので、ウィキペディア日本語版にはまだなかったのでしょう。短い記事でしたのでサクサク訳し、丁度2月5日から11日まで友好会のエディタソンをやるというので、その期間中に公開しました。

エディタソンでは翻訳が望まれる記事の一覧が提示されています。せっかくなのでその中をみていき、このごろは詩人に気持ちが向いているので、「ニガール・ハヌム」という100年ほど前の女性詩人の記事を訳しました。当初は伝統的な詩の様式で書いていたのが、次第に西欧の様式をとりいれていった、というところに興味を持ちました。次にリストの男性も見て行くと、「ユスフ・イサ・ハリム」という詩人で言語学者がいたので、こちらも訳しました。ルーマニア語トルコ語の辞書を初めて作った人物だそうですが、「クリミア・タタール人」というカテゴリーがあるのを初めて知りました。中央アジアの複雑な歴史を垣間見た思いがします。

このように二人ともなかなか興味深かったですが、いずれも短い記事だったので少し物足りなく、再びリストを見て行って見つけたのが「2023年トルコ・シリア地震への人道支援」の記事でした。元の文章は「いつ誰がどうした」という定型が多かったので、翻訳自体はほとんど問題なかったですが、多くの固有名詞に対応する日本語が無く、新たに訳語を作り、ついでなのでWikidataに登録し、英語版への仮リンクをはる、という作業を延々と続けました。時間はかかりましたが時間のたっぷりあるシニアの出番だと思い、やりがいがある作業でした。83歳で関東大震災を被災した渋沢栄一が、深谷に避難するように進言する親族らを一蹴し、先頭に立って震災復興に奮闘した、という史実が頭の片隅にありました。

■追記
ウィキメディア日本トルコ友好会の今回のエディタソンについて、Eugen Ormandyさんがレポートを英語版Diffに書かれていましたので、リンクを張っておきます。

また、Ormandyさんは2017年のトルコのウィキペディア遮断についても、状況をまとめたブログを書かれているので、こちらもリンクを張っておきます。

■更新履歴

  • 2024.2.23: 「追記」を追加