WikiGapエディタソン2022:日本の女性作曲家とウクライナ出身の歌手

リディア・リプコフスカヤ(Карл Андреевич Фишер, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)

スウェーデン大使館によるWikiGapエディタソンのイベントは2020年で終了しましたが、自主的グループによるオンラインのイベントが2022年3月に開催されたので、参加しました。

■北爪やよひ(1945-):作曲家

図書館の仕事で北爪やよひの楽譜を見る機会があり、少し調べると父親はクラリネット奏者北爪利世、母はピアノを学び、兄の北爪道夫は作曲家、叔父の北爪規世はヴィオラ奏者という、音楽一家に育ったことがわかりました。ウィキペディアを見ると父と兄、北爪利世と北爪道夫は記事がありますが、北爪やよひは英語版とオランダ語版に記事があるものの日本語版には無く、これはWikiGapの題材になると考え、作ってみることにしました。しかし英語版はとても情報が少なく、オランダ語版の方がまだ作品情報が載っていたので、オランダ語版からの翻訳に挑戦しました。オランダ語というのは英語とドイツ語を足して2で割ったような感じがあり、センテンスをにらんでいるとなんとなく意味が伝わってきます。自動翻訳で英語やドイツ語に翻訳したりしながらなんとか仕上げ、音楽事典の情報なども追加して公開しました。私より少し上の世代ですが、ハンガリーに留学し、独特の音楽世界を築いているのがわかりました。

■藤家溪子(1963ー):作曲家

所属しているオーケストラ・ニッポニカの演奏会で藤家溪子を取り上げることが決まりましたが、名前すら知らない作曲家でした。ウィキペディアを見てみると記事は出ていましたがごく簡単な内容で、それでも著作があがっていたのでまずそれを古書店から入手しました。『小鳥の歌のように、捉えがたいヴォカリーズ』(東京書籍、2005年)という素敵なタイトルの本で、藤家が折々に書いた文章をまとめてあり、巻末に作品一覧とディスコグラフィー、そして自作7曲を収めたCDがついていました。いくつか文章を読んでみると、音楽や自然に対する豊かな感性や、自立した精神の持ち主であることが匂い立つように伝わってきました。また藤家は長崎で長く音楽活動をしていましたが、近年はなんとアフリカのブルキナファソで現地の音楽家と共にオペラを制作している、という生き方にびっくりしてしまいました。ブルキナファソは、前に出した「ウム・サンガレ」のいるマリ共和国の南隣です。行ったことはないものの、何となく馴染みの気分でした。こうしてわかったことを基に、手元の音楽事典などの情報も参考にしてウィキペディアの記事に大幅に加筆し、「藤家溪子の作品一覧」という記事も併せて出しました。

ニッポニカで演奏する藤家の『思いだす ひとびとのしぐさを』という曲は、チリの詩人ガブリエラ・ミストラルの詩を題材にしていることもわかりました。こちらも知らない名前でしたが、南米で初めてノーベル文学賞を受賞したというだけに、ウィキペディアには詳しい記事が載っていました。ところがなんと出典がひとつもついていないのです。これはあんまりだと思い、図書館に通って資料を調べ、出典を全体に追加しました。これはWikiGapとは別に、2022年9月のことですが、女性の記事を充実させることができてよかったです。

■リディア・リプコフスカヤ(1882-1958):ロシアのソプラノ歌手

WikiGapイベント直前の2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が始まりました。それは2月17日から3月17日まで開催の「ウクライナの文化外交月間2022」というウィキメディア財団のイベントの真っ最中でした。この時、世界中のウィキペディアンたちがこぞってウクライナに関する記事を書いたのです。イベントページを見ると、映画、音楽、演劇、文学、視覚芸術、その他、という6つのジャンル別に「おすすめ記事」の一覧が提示されていて、ウィキペディアの55か国語版にその記事があるかないかが出ているのです。そこで私も参加してみようと思い、おすすめ記事の「音楽」から、英語版にあって日本語版に無い「リディア・リプコフスカヤ」というソプラノ歌手を選びました。

この歌手はウクライナ出身で、ロシアで活躍していましたが、ロシア革命後の1920年アメリカに亡命しています。そして1922年にアジアに演奏旅行した際、日本にも立ち寄り帝国劇場で公演したのです。これがわかったのはインターネットで検索してヒットした、渋沢財団情報資源センターの2009年2月19日のブログ記事でした。そこには「1922(大正11)年2月19日 L.リプコフスカヤ 【『帝劇の五十年』(東宝, 1966)掲載】」とあったのです。自分で書いたブログが思いがけずヒットしてびっくりしました。情報源は『帝劇の五十年』(東宝、1966)という社史の年表データで、その後2014年に「渋沢社史データベース」として公開しています。『帝劇の五十年』の年表には「リプコウスカ夫人」となっているのですが、ブログの方に「リプコフスカヤ」と書いたのでヒットしたのです。ロシア人の名前はカタカナ表記のゆれが多いので、可能性のある表記はブログに書き込んでおく、という習慣があったのでした。ともかくウィキペディアの英語版には来日情報は無かったので、追記することができてよかったです。今回NDLデジタルコレクションを「リプコフスカヤ」と「リプコウスカ」の両方で検索したところ、来日時の公演内容だけでなくパリでの公演についても情報が見つかり、さらに追記できました。NDLデジタルコレクションが拡張したのは2022年12月で、それ以前に公開した記事は私の場合120件もあるのですが、NDLデジタルコレクションを少しずつ再検索してみようと思います。