Wikipedia執筆記事の記録:2023年4月 = Wikipedia Writing Article Record: April 2023

■Abstract: Yonejirō SuzukiTokyo OrchestraDavid BordwellAzusa KitōWeihnachtsfrieden

このところ翻訳記事作成に時間をたくさん使い過ぎていた気がしたので、4月は少しセーブしました。最初から新しく記事を出すには典拠となる資料をそれなりに読み込む必要がありますが、そうした時間をたっぷり楽しみました。

3月に出した「東京フィルハーモニー会」を創設したのは「鈴木米次郎」ですが、この人物は東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)創設者であるのにウィキペディアに記事が無かったので、新たに立項しました。参考にした『音楽教育の礎 : 鈴木米次郎と東洋音楽学校』(春秋社 2007)を読んだところ、関東大震災で東洋音楽学校が灰塵に帰した際に、かつての教え子である鳩山一郎ら政財界の大物たちが、恩返しに鉄筋コンクリートの校舎を寄贈した、という話があって驚きました。またその教え子の一人に渋沢栄一の初孫である穂積重遠の名前があり、ほう、と思いました。鳩山や穂積が通っていたのは、今の筑波大学附属中学校・高等学校で、戦前は男子校でした。音楽は女のやるものだという明治時代に男子校で音楽を教えるのは並大抵の苦労では無かったと思うのですが、鈴木米次郎は真摯にそれに取り組み、希望をもって音楽を指導し、その姿勢が生徒に伝わったのだと感じ入りました。

もう一つ、「東京フィルハーモニー会」から派生した「東京オーケストラ団」も興味深かったので、新規に立項しました。音楽学校卒業生の就職先として、客船の楽士に目を付けた鈴木米次郎の教育者としての気概に感激しました。太平洋航路の客船は往復40日くらい航海したそうですが、そこで毎日クラシックやジャズやダンス音楽などを楽士たちは演奏していたのです。朝の起床ラッパはトランペット奏者が担当し、特別手当がでたとのこと。また上陸したアメリカで現地の音楽をたっぷり吸収し、現地で楽譜を入手してすぐにレパートリーに加えていきました。そうした船上の音楽活動が30年くらい続き、帰国した楽士たちが国内で活躍していったのでした。典拠資料として大森盛太郎著『日本の洋楽』(新門出版社 1986)という上下2冊本を図書館で閲覧したのですが、明治以降の日本の洋楽受容について非常に参考になったので、古書店から入手してしまいました。そこには船の上でどういう音楽が演奏されていたか、楽士たちがアメリカのジャズ奏者たちとどういう交流をしたかなど、様々な事が載っていたのです。アメリカの音楽がそういうルートで日本に入って来ていたことを改めて認識しました。この記事はウィキペディアの「新しい記事」に選ばれ、多くのウィキペディアンの方がチェックしてくださり、早速カテゴリーが修正され有難かったです。

4月23日に「Wikipediaブンガク9小津安二郎」が開催されたので、オフサイトで参加し、「デヴィッド・ボードウェル」を翻訳して出しました。この人物はアメリカの映画理論家、映画史家で、「小津安二郎」の記事の中で赤リンクだった人です。この人には『小津安二郎 : 映画の詩学』という著作があり、日本語訳が青土社から1993年に出ていたので、600ページを越えるぶ厚い本を図書館から借りてきました。小津の全作品について1作ずつ詳細な解説を執筆したもので、アメリカにこういう研究者がいることに驚きました。小津の作品は『東京物語』くらいしか知らないのですが、一時代を画した映画監督だったのがよくわかりました。

2008年に亡くなられた建築家鬼頭梓さんは、図書館建築のパイオニアとして知られています。鬼頭さんの建築にフォーカスした展覧会が京都工芸繊維大学美術工芸資料館で6月10日まで開かれているという記事を、新聞で読みました。argの岡本真さんがこの展示に関連したイベントをなさるというので、ウィキペディアの「鬼頭梓」の項目を改めて見たところ、建築家としての業績は一応掲載されているようでしたが、出典がほとんどついていません。これは残念と思い、著作などいろいろ調べて出典を追加し、本文も加筆しました。五十嵐太郎, 李明喜 編『日本の図書館建築 : 建築からプロジェクトへ』(勉誠出版 2021)は役立ちました。なお鬼頭夫人の鬼頭當子(まさこ)さんは元ICU図書館長で、私は学生時代にそこで実習して以来お世話になりました。ICU図書館は図書館の教科書と言われていて、カードボックスのコーナーには書名や著者や主題カードの隣に人物典拠カードがずらっと並んでいたのが忘れられません。典拠コントロールの大切さもそこで実際に学びました。鬼頭當子さんは図書館学校の大先輩でもあり、毎年ご夫妻連名の年賀状をいただいていた時期もあります。そこにはいつも「Dona nobis pacem」(我らに平和を与えたまえ)とラテン語典礼文が書かれていたのを、なつかしく思いだします。鬼頭當子さんの記事も機会があったら立項したいものです。

鈴木まもるの絵本『戦争をやめた人たち』(あすなろ書房 2022.5)を太田尚志さんのFacebookで知りました。第一次大戦が起きて5か月たった1914年12月のクリスマスに、戦場で向きあうドイツ軍とイギリス軍の間に実際に起きた停戦を描いた物語です。図書館で借りて読み、戦場という狂気の場で相手をおもんばかる心もちの気高さに思い至りました。この本をウィキペディアの「クリスマス休戦」の参考文献にあげておきました。

4月10日と12日のウィキメディア財団のブログDiffに、私のブログを再び取り上げていただきました。この「執筆記事の記録」記事1月から3月までのものです。ありがたいことです。実際に毎月振り返ってみることで、新たな道筋も見えてくることがわかりました。なおDiffという名称は「Difference」からきており、種々の「違い」に注目したものです。