Wikipediaブンガク8:川端康成の翻訳者オスカー・ベンルとゲーテ・メダル

川端康成 1938年

2022年秋には「Wikipediaブンガク8:川端康成」のイベントがありました。川端の小説はあまり読んだことがないのですが、せっかくなのでオフサイトで参加することにしました。川端ほどの文豪であればウィキペディアの記事も充実していると想像しましたが、予想通り新書が一冊書けるかと思うくらいの量の記事が公開されていました。しかしその中で、川端の1926年の作品『伊豆の踊子』を1942年にドイツ語に訳した「オスカー・ベンル」という人名が赤リンクでしたので、この人の記事をドイツ語版から翻訳してみることにしました。英語版は無く、ドイツ語版とフランス語版だけが出ていたのです。

ドイツ語版の記事によると、1914年ドイツに生れたベンルは、日本文学に興味を持ち戦前に東大に留学、戦時中は駐日ドイツ大使館に勤務していたそうです。数多くの日本文学をドイツ語に翻訳しましたが、川端の小説では『伊豆の踊子』『雪国』などがあげられていました。共に有名な作品ですが読んだことは無いので、『伊豆の踊子』を入手して読んでみると、踊子たちの旅路は前に「ニール号遭難事故」の取材で南下した伊豆半島中央の街道そのものであったことがわかりました。その時に見た伊豆の風景や人物の心情を1942年の時点で翻訳したベンルの手腕を想像し、それがどのように受け入れられたか興味深かったです。今回改めてNDLデジタルコレクションで「オスカー・ベンル」を検索したところ、日本に留学した経緯や出した本の書評などを見つけることができたので、記事に追記しました。また東大で師事したのが、歌人長沢美津の師でもあった久松潜一で、久松の妻は歌人佐佐木信綱の娘であることもわかり、様々な人間模様も浮かび上がってきました。

話は飛びますが、国際交流基金の作っている「日本文学翻訳作品データベース」でこのほどOscar Benlを検索したら、1942年から2016年までの出版物が141件もヒットしました。このデータベースは「主に戦後の作品」がメインですが、戦前のもヒットしました。またユネスコの翻訳書誌「インデックス・トランスラチオヌム」のTranslatorの項目に「Benl, Oscar」といれて検索したら、54件もヒットしました。いずれも細かくは見ていませんが、ウィキペディアの記事にも役に立つのではと思っています。

閑話休題川端康成の記事の中でもう一つ赤字で気になったのが、「ゲーテ・メダル」でした。これは英語版とドイツ語版にあったので翻訳しようとしましたが、やっていくうちに「ゲーテ・メダル」と呼ばれるものが複数あることがわかってきました。しかも川端が受賞したのは「ゲーテの盾」というのが本来の訳語で、こちらも複数の「ゲーテの盾」があることがわかり、最初に交通整理が必要でした。さらに「ゲーテ賞」という似たような顕彰もあり、こういう場合にウィキペディアでは「曖昧さ回避」という記事を作るのが推奨されているので、まずはあちこち調べながら「ゲーテ・メダル (曖昧さ回避)」という記事を出しました。

さて次に、川端の受賞に関して確認のためいくつかの典拠資料を調べたところ、1959年の新聞記事などによると5月に受賞の連絡があり、8月にドイツのフランクフルトでの受賞式に川端が出席したことがわかりました。川端は前年末から胆石で東大病院に入院し、4月に退院してきたばかりでしたので、当初は受賞式に行かずに在独日本大使館員が代わりに受け取ることになった、という記事もありました。実際のところ川端は8月には身体が回復してドイツまで出かけられたのでしょう。このあたりについてウィキペディアの記載とずれていたので、出典をあげて修正を加え、注釈も付けておきました。またドイツ文学について川端が何か特別の業績をあげたわけではないのに、なぜドイツの文豪ゲーテの名を冠した顕彰を受けたのか不思議でしたが、当時の新聞記事に川端本人が「ペンクラブでの活動が評価されたのでしょう」と語っているのを見つけて納得しました。川端は1948年から1965年まで日本ペンクラブの会長を務め、1957年の国際ペンクラブ東京大会を主催国会長として運営したのでした。なお、新聞記事検索に使った『新聞集成昭和編年史』の索引には、川端はもちろん「ゲーテ・メダル」なども載っていたものの、新聞記事でも「ゲーテ・メダル」「ゲーテの盾」「ゲーテ賞」は混同されていました。外国語の訳は難しいなと思いながらも、ウィキペディアにきちんと書いておくことの意義を改めて感じた次第です。

ところで、これらのゲーテに名前をとった様々な賞の受賞者は主にドイツ人なのですが、日本人も何人かいるので名前をみていくと、私の独文科の恩師である木村直司先生のお名前がでてきました。ゲーテの専門家である木村先生には10年くらい前の同窓会でお目にかかりましたが、その時「今はドイツでもゲーテを教える人は少なくなってきていて、私がドイツまで出かけて行って教えることもあるのです」とおっしゃっていたのが印象に残っています。

■参考