Wikipedia執筆記事の記録:2023年5月 = Wikipedia Writing Article Record: May 2023

■Abstract: Janina LewandowskaTyphoon IdaTaisei SantenkōDate MunehiroHaiku International AssociationIndex Translationum

 小林文乃『カティンの森のヤニナ:独ソ戦の闇に消えた女性飛行士』(河出書房新社、2023)を、毎日新聞書評で知りました。評者は『ヌマヌマ』のもう一人の訳者でスラブ文学者の沼野充義さん。丁度NHKFMでパヌフニク作曲『カティンの墓碑銘』を聴いたばかりで、興味を持ち本を図書館から借りて読みました。第2次大戦中にロシア西部にあるカティンの森で、何万というポーランド人がスターリンの指示で殺害された事件が舞台です。この本は、ただ一人の女性犠牲者である「ヤニナ・レヴァンドフスカ」という、パイロットの足跡を取材したものです。戦場の狂気が渦巻く中で目を覆いたくなりつつ、著者の志の高さにぐいぐい引っ張られ最後までページを繰りました。ヤニナがソ連軍に捕まったポーランドの地名を調べると、現在はウクライナになっており、歴史に翻弄されている彼の地の有様に思わず天を仰ぎました。ヤニナの記事はウィキペディアの22か国語版に出ていたので、英語版から翻訳し、本でわかった情報も加筆してウィキペディアに出したところ、「新しい記事」に選ばれました。

台風の画像(PD)

 もう1冊、日経新聞書評で気になった最相葉月『証し:日本のキリスト者』(KADOKAWA、2022)を読みました。日本全国135人のキリスト教信者へのインタビューをまとめたもので、クリスチャンでない私には初めて知ることが多くありました。その中で、北九州市若松区を訪れた著者が教会の牧師に案内され、「若松沖遭難者慰霊碑」を見た話が載っていました。戦前に日本へ強制連行された朝鮮出身者たちが、終戦直後の1945年9月に帰国する途中で枕崎台風にあい、船が転覆し遭難したのです。海岸に流れ着いた遺体はその後墓地に埋葬され、1990年に慰霊碑が建てられました。若松浜ノ町教会では毎年追悼集会が開かれているそうです。この出来事はウィキペディア上には見当たらなかったので、「枕崎台風」の記事の最後に追記しておきました。

 日経新聞の連載小説『陥穽』を毎日楽しんでいます。副題は「陸奥宗光の青春」で、辻原登の作です。その中に陸奥の父親伊達宗広著『大勢三転考』という書物が出て来て、重要な文献と知りました。NDLデジタルコレクションで全文が公開されていることがわかり、ウィキペディアの「大勢三転考」と伊達宗広の記事名「伊達千広」の記事にリンクをつけておきました。辻原登の小説『韃靼の馬』を以前に日経連載で読んで感動したのですが、こちらは江戸時代の日本と朝鮮の関係史を扱ったもので、朝鮮から日本に数々の文物をもたらした朝鮮通信使をめぐる物語でもあります。小説でなくては描けないダイナミックな展開を毎日ゾクゾクしながら味わったものでした。

 外国語の俳句に興味がわいたことから「国際俳句協会」という団体を知り、フランス語版ウィキペディアにはありましたが、日本の団体なので図書館に通っていろいろ資料を集め、翻訳でなく新規にウィキペディアに出しました。これは「新しい記事」に選ばれ、それはそれで嬉しかったですが、それよりもこの協会の講演会にベルギーのルーヴェン大学のウィリー・ヴァンドゥワラ教授が熱心な俳句紹介者として登壇されていたのに驚きました。ヴァンドゥワラ教授はEAJRS(日本資料専門家欧州協会)の中心人物で、渋沢財団から出張した際何度もお世話になりました。流暢な日本語でいつも的確なコメントを出され、参加者皆に慕われていました。国際俳句協会の講演でもヴァンドゥワラ教授は、日本近代俳句史に沿いながら俳句は単なる自然詩以上のものであると、流暢な日本語で語られたそうです。日本の俳句が海外でも深く読まれ、愛されていることを出席者は感じ取った、と資料にありました。そういえばオランダのライデン大学がEAJRSの会場だった時には、ライデンの街の建物の壁に「荒海や佐渡によこたふ天の川」という芭蕉の句が大きく書かれているのをびっくりして眺めたものです。会議をホストしたライデン大学日本研究科の学生達は、懇親会で見事な和太鼓でソーラン節の演奏を披露してくれました。

林昌樹『調べる技術:国会図書館秘伝のレファレンス・チップス』(皓星社、2022)(出典:版元ドットコム)

 2022年暮れに出て話題になっていた小林昌樹『調べる技術』(皓星社)を入手して、NDLリサーチ・ナビにある「人文リンク集」を知りました。その中の「日本文学」の翻訳書誌に「Index translationum」があって感動しました。ユネスコが作っているデータベースで、図書館学校で習いましたが当時は冊子体しかなく、その後縁が無かったのですっかり忘れていたのです。1979年以降のデータはオンラインで検索できるようになっていました。一般にはあまり知られていないと思うので、ウィキペディアの英語版から翻訳して「インデックス・トランスラチオヌム」として出しておきました。このデータベースの統計を眺めていると、世界中の翻訳の動向が見えてきて面白いです。日本語から翻訳された上位10人を調べたら、作家が6人、漫画家が4人でした。

トルコ語の辞書、文法書、ノートなど(2023年9月12日筆者撮影)

 トルコ語鈴木孝夫先生の話。図書館学校に通っていた頃、「鈴木孝夫先生の言語学がすこぶる面白い」という話を聞いて興味を持ち、指導教授から「語学は図書館員の武器」と聞かされていたこともあり、翌年度に鈴木先生が唯一開講されたトルコ語の講義に通いました。私にとって初めてイスラム圏の文化に触れる機会となり、言葉の背後にあるトルコの歴史や社会に思いを馳せました。また「外国語を学ぶことは日本語を知ること、自分を知ること」という理念に貫かれた鈴木先生の講義は、目から鱗が連続の時間でした。先生の『ことばと文化』『閉ざされた言語・日本語の世界』『武器としてのことば』といった著作をむさぼるように読んだのを懐かしく思い出します。クラスメートはそうした鈴木先生を慕う人ばかりで、そのうちの一人Oさんとは以来年賀状を交換しています。卒業後半世紀近く会ったことは無いのですが、昨年オーケストラ・ニッポニカがクラウドファンディングに挑戦した際は、「トルコ語同級生」の名義で応援くださいました。今回ウィキペディアの「鈴木孝夫」の項目を見ると、経歴部分の典拠が不足していたので、松本輝夫『言語学者鈴木孝夫が我らに遺せしこと』という冨山房インターナショナルからこの4月に出た本を図書館から借り、巻末の年譜から出典を追加しました。「主義・主張」の部分は先生の著作のみが典拠なので、それは独自研究にあたり本来なら望ましくないのですが、反論など調べて改訂するには力不足なのでいつか機会があればやってみたいです。

■参考
ヤニナ・レヴァンドフスカ - Wikipedia
枕崎台風 - Wikipedia
大勢三転考 - Wikipedia
伊達千広 - Wikipedia
国際俳句協会 - Wikipedia
インデックス・トランスラチオヌム - Wikipedia
鈴木孝夫 - Wikipedia