幸田文の小説『流れる』

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b3/Kouda_Aya.jpg幸田文:AleksandrGertsen, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)

2015年に義理の母が亡くなり、蔵書をいくらかもらってきました。その中に幸田文(あや)の小説『流れる』と、『幸田文全集』全23巻がありました。幸田文の名前は知っていても読んだことはなかったのです。父親は小説家の幸田露伴、父の弟幸田成友(しげとも)は『渋沢栄一伝記資料』編纂にも関わった歴史学者、その妹の幸田延(のぶ)と安藤幸(こう)は音楽家、というくらいの知識でした。その後、萩谷由喜子が著した延と幸の姉妹の評伝『幸田姉妹』(ショパン 2003)を読み、明治の洋楽黎明期に欧米に留学した姉妹とその足跡を知りましたが、幸田文の小説を読むことはなく時間が過ぎました。

2020年になりコロナ禍で自宅に籠る時間が続き、ふと書架にあった『流れる』を手に取り、読み始めました。すると戦後間もない時期の花柳界の出来事をそれこそ「流れる」ように綴る作者の文章に、すっかり引き込まれてしまいました。私は東京で生まれ育ちましたので、舞台となった墨田川の下流あたりの風景は何となく目に浮かびます。それでも小説で描かれる世界に縁はなく、それを目の前に展開してくれる幸田文の文章にどんどんはまっていきました。

この小説は1955年に1年間雑誌連載され、翌年すぐ単行本になり、ほどなく文庫本にもなるほど売れた作品です。その後ラジオやテレビドラマになり、舞台にもかかり、映画化もされています。そこでウィキペディアをのぞいてみると、映画化された「流れる」の記事はありましたが、小説についてはほとんど触れられていませんでした。成瀬巳喜男監督の東宝映画はそうとうに流行ったらしいですが、原作の記述が無いのは片手落ちと思い、書いてみることにしました。原作と映画でタイトルが違う場合は、別々の記事にすることもあるようですが、今回は同じタイトルでしたので、映画の記事の前に小説の項目立てをしました。

「あらすじと登場人物」については、手元の小説本からまとめることができましたが、そのほかの情報を調べるための『全集』も手元にあったのは幸いでした。小説家の個人全集というのは背表紙を眺めることはあっても、じっくり中を紐解くのは初めてでした。岩波書店から出た『幸田文全集』には、数多ある小説の本文はもちろん、それについての作者の言葉も収められていました。しかもそれは小説について語った言葉だけでなく、舞台化されたり映画化されたりした際のパンフレットに載った文も丹念に収録されていました。また最終巻には、年譜と著作年表、作者による「後記」など、関連する情報が徹底的に収められていたのです。そして全ての記事を縦横に探せる索引が、当然のことのようについていました。文芸作家の全集編纂にかける出版社の執念のようなものを、ひしひしと感じた事でした。

記事を書いていた時期はコロナ禍で図書館が使えなかったのですが、小説出版に至った「背景」や、「発表・出版年譜」「上演史」といった項目も、全集が手元にあったおかげで自宅にいながらまとめることができました。書きながら元の小説を2回くらいななめ読みで目を通し、最初は気が付かなかった事柄が見えてきたり、映画や舞台の女優さんのしぐさが思い浮かんだり、何重にも作品を味わった気分です。小説本の装丁には和服の生地が使われていたことも、作者の生き様を偲ばせるようで、深く心に残りました。

今回改めてウィキペディアを覗いてみると、私の書いた後に何人もの方が記事を充実させて下さっていたのがわかりました。こうしてウィキペディアは発展していくのだなあと感じます。私は情報をまとめたInfoboxを冒頭に追加しておきました。映画の方には出典がひとつもついていないので、どなたかきちんと付けてほしいものだと思います。それから昨今話題のChatGTPで、「幸田文の小説“流れる”」について聞いてみましたが、全く別の作家の別の作品についてしか回答が返ってきませんでした。なので少なくとも現時点(2023年4月6日)でChatGTPはウィキペディアを参照していないことがわかりました。オンラインで検索できる種々の情報源を参照しているのだと思うのですが、日本文学に関してはまだまだ発展の余地が充分ありそうです。せいぜい質問を入れて勉強してもらおうかと思っています。もっともChatGTPよりも、参照先となる日本文学関連のオンライン情報源を整備するのが先でしょうか。関係の皆様の奮闘に期待いたします。