ベルリン音楽大学とグロボカール

坂本光太チューバ・リサイタル「Gewalt/Geräusch/Globokar (暴力/ノイズ/グロボカール)」 2020.3.1

渋沢財団を退職してからしばらく務めた明治学院大学図書館に、学生アルバイトとしてやってきたのが坂本光太さんでした。1990年生まれの坂本さんは東京芸術大学音楽学部でチューバを専攻し、大学院に進んでからドイツのベルリン音楽大学に留学。修士課程を修了して帰国後、芸大の修士課程も修了し、国立(くにたち)音楽大学の博士課程に進まれたところでした。

私の知っているベルリン音大は旧西ベルリンにありましたが、坂本さんの出たのは旧東ベルリンにできた大学なのだそうです。調べるとそれは「ハンス・アイスラー音楽大学ベルリン」という名称で、1949年ドイツが東西に分かれた時に音楽大学は西ベルリンにしかなかったので、新たに東ベルリンに1950年開校した大学でした。ウィキペディアを調べると、日本語版に既に記事が立っていましたが、ごく簡単な紹介しか書かれていませんでした。英語版の記事もありましたが、日本語版よりましなもののたいした内容ではなく、やはりここはドイツ語版が一番詳しかったので、初めてドイツ語版からの翻訳加筆に取り組んでみました。独文科で学んだのははるか昔のことですが、若いころたたきこまれたことが役にたちました。一通り訳してみると、研究機関も実施されている教育も実に充実した内容の大学であることが端々から伝わってきました。1990年に東西ドイツが統一されてから30年以上たつので、旧西ベルリンの音大(現在はベルリン芸術大学)と密接な関係があることもわかってきました。

坂本さんが研究しているのは、スロベニア出身のトロンボーン奏者で作曲家のヴィンコ・グロボカールでした。聞いたことのない名前でしたが、坂本さんのリサイタルに通って作品に接し、また彼が国立音大の紀要に発表した論文を読み、グロボカールの人となりがだんだんわかってきました。1934年生まれのグロボカールは卓越した技術を持つトロンボーン奏者として、また作曲家として活躍していましたが、ある時からその音楽が社会的、政治的な視点を強く持つようになったのです。私は20代から所属してきたオーケストラが、音楽のための音楽でなく社会活動としての音楽を目指していたので、そうしたグロボカールに興味を持つようになりました。

ウィキペディアにはグロボカールの記事が立っていましたがとても薄い内容でしたので、少しずつ書き改めていきました。坂本さんの論文だけを典拠としたのでは、「独自研究は載せない」というウィキペディアの方針に反するので、音楽事典など他の資料もできる限り参照しました。また中立性を担保するために、坂本さんには事前に一切相談せず、公開された情報のみを典拠として記述しました。さらにグロボカールの作品についてもごくわずかしか掲載されていませんでしたので、彼が一時所属していたフランスのIRCAMのウェブサイトにあった作品情報を典拠とし、「グロボカールの作品一覧」という記事も新規に出しました。モーツァルトベートーヴェンの楽曲一覧という記事があるのだから、グロボカールのもあっていいでしょう、と考えた次第です。IRCAMの元のリストはジャンルごとのABC順でしたが、表形式の編集方法もだんだんわかってきたので、別のアプローチができるようにジャンルごとの作曲年順にしてみました。またタイトルの日本語も付けてみました。原文はフランス語が多かったですが、若いころにかじったフランス語の知識が役立ちました。無骨なドイツ語に親しんでいると、エレガントなフランス語がまぶしく、ラジオのフランス語講座を半年ほどじっくり聞いて辞書くらいは引けるようになったのです。

グロボカールは日本では金管奏者を除き、ほとんど知られていない作曲家でしたが、2021年1月に出た沼野雄司著『現代音楽史』(中公新書)には、グロボカールが一つの節に取り上げられていて、坂本さんも驚いてらっしゃいました。私はこれで信頼できる典拠資料が一つ増えたと喜んだものです。そして坂本さんはグロボカールについての博士論文を提出、卒業演奏も無事終了し音楽学の博士号を取得。その4月から京都女子大学の教育者、研究者として、また演奏家として社会人の第一歩を踏み出されました。その後に博士論文国立音楽大学リポジトリから公開されたので、こちらも典拠資料として使えるようになりました。

2022年になってあらためてグロボカールのことを調べてみると、その年に「ドイツ音楽作家賞」の生涯功労賞というのを受賞しているのがわかりました。日本では余り知られていなくても、ドイツでは高く評価されているのがよくわかりました。受賞を知らせるウェブサイトには受賞式でトロフィーを受け取った受賞者の写真も載っていて、90歳近いグロボカールの姿を見ることができました。この賞についてもドイツ語版ウィキペディアから翻訳しました。また賞を出している「ドイツ音楽著作権協会」も日本語版になかったのですが、ドイツ語版は詳しすぎて手に余ったので、こちらは英語版から翻訳して出しました。それにしても音楽著作権は国によって様々な背景があるものだと、少しわかってきました。この記事はウィキペディアの「新しい記事」に選ばれて嬉しかったです。