Wikipediaブンガク7:吉田健一のケンブリッジでの3人の師

吉田健一

Wikipediaブンガク」のイベント案内を2022年の春に受け取りました。Wikipediaブンガク実行委員会の主催で、会場は神奈川近代文学館、テーマは「吉田健一」。街歩きではなく作家や文学作品をテーマにした催しには前から興味があったので、早速申し込みました。実行委員会は周到に準備を重ねていることが予想できましたので、当日いきなり参加しても充分成果がありそうでしたが、せっかくなので「吉田健一」について予習してみることにしました。

政治家吉田茂の長男である吉田健一(1912-1977)の本は、実家で何冊も見たことがあります。私の父と同世代で、直接接することはなくても父はきっといつも気にしていた作家なのだと思います。小説やエッセイに出てくる神田界隈の街や店は、父もよく馴染んでいたはずで、亡くなった姉からもそうしたことにまつわる話を聞いた覚えがありました。しかし私自身は吉田健一の本を読んだことはありませんでした。そこで代表作の一つといわれる『ヨオロツパの世紀末』を古本屋から入手しました。この本の背表紙は確かに実家で見た覚えがあります。早速ページを繰ってみましたが、ちょっと手ごわそうでななめ読みだけしました。

今度はやり方を変え、ウィキペディアの「吉田健一」の項目を見てみました。すると幼少のころ父親の仕事によりヨーロッパで暮らし、中学は日本で終え、ケンブリッジ大学に留学したことがわかりました。しかし半年ほどでそれを切り上げて帰国し、日本で文筆活動にはいっています。せっかく留学したのになぜ帰ってきてしまったのか、そのあたりが急に気になりました。子どものころからヨーロッパの空気に触れていたのだから、生活や文化が合わなかったとは思えません。大学や教師と馬が合わなかったのかと想像しましたが、イギリスで師事した3人の名前がでていてもいずれも赤字リンクで日本語版に記事がなく、具体的なことがわかりません。そこでこの3人の記事を英語版から翻訳してみることにしました。

3人のうちの一人、指導教授であったF.L.ルーカスの記事は一番長くて大変そうでしたが、訳し始めてみるとその波乱に富んだ生涯に、まるで小説を読んでいるような気分になり引き込まれました。第一次大戦に従軍して負傷したこと、優秀な成績でケンブリッジを卒業し母校の研究者になったこと、T.S.エリオットの詩を酷評したこと、戦間期には平和を守るための活動を果敢に続けたこと、第二次大戦では情報将校として暗号解読に従事したこと等等。私生活もドラマに満ち、吉田健一が留学したのは最初の結婚生活が破綻したころであったのがわかりました。最初の妻が思いを寄せた相手のデイディ・ライランズは、今回吉田の師の一人として記事を翻訳した3人目の人物でした。もう一人の師、ゴールズワージー・ロウズ・ディキンソンも興味深い人物で、学者としての業績が高いだけでなく、国際平和についても種々の努力を重ねていたようです。またケンブリッジで一生を過ごした教養人の世界というのも垣間見ることができました。

そんな風になんとか3人の師の記事を翻訳したところで、5月5日のイベント当日を迎えました。横浜の港の見える丘公園の素晴らしい眺めを堪能し、文学館に向かいました。最初に展示解説があり、なんと展示の中にはF.L.ルーカスにあてた吉田健一の手紙がたくさんあるとのこと。吉田は帰国直後から恩師が没するまで、たくさんの手紙を交わしていたのでした。その手紙はルーカスが没した後に、3番目の妻から吉田の遺族に送られてきたそうです。また私の疑問、吉田がなぜ帰国したか、についての情報もいくつか発見することができました。学者か作家になるか迷っていた吉田が帰国したのは、ルーカスの影響があるということも、用意されていた参考文献で確認することができました。吉田健一はディキンソンとも手紙を交わし、自身の『交遊録』にも詳しく記載していましたので、そうした情報を記事に追加することもできました。そうしてわかってきたことをウィキペディアの原稿に付け加え、3人の記事をイベント中に公開しました。一つ失敗したのは、ルーカスの記事タイトルをウィキペディア日本語版の慣習に従い「F・L・ルーカス」とすべきところを、うっかり原稿どおり「F.L.ルーカス」としてしまったのです。すぐ気が付いて助けを求めたところ、実行委員会にウィキペディア管理者のAraisyoheiさんがいらしたので、その場で修正してくださいました。

このイベントでは何人ものウィキペディアンの方に会うことができました。主催者のMayonaka no osanpoさんとかLatenscurtisさんとか、大宅壮一文庫の鴨志田浩さんとか、いろいろ共通の話題のあるAncorone3さんなどなど。そして音楽好きなウィキペディアンEugene Ormandyさんとは初対面なのにすっかり意気投合しました。音楽の記事について同じ土俵で情報交換できる方に出会ったのは初めてでしたので、なんとも心強く嬉しい出来事でした。