渋沢財団での仕事(1)社史と変遷図

スイートピー 2023-01-09 筆者撮影

2005年から2017年まで12年8か月、公益財団法人渋沢栄一記念財団実業史研究情報センター(2015年から情報資源センター)で、それまでの経験からは予想もできなかった「ウェブサイトから情報発信する」仕事をしました。どのような仕事であったか、数回に分けて書いておくことにします。まず最初は社史と変遷図の話です。

明治以降日本の企業が出版した社史は、これまでに1万点以上になります。社史には自社のことだけでなく、人間社会や自然界の様々な情報が盛り込まれており、それを縦横に検索できるデータベースを構築する、というプロジェクトが渋沢財団で始まっていました。社史自体は銀行の資料室で何冊も見ていましたし、専図協事務局時代には『社史・経済団体史総合目録』追録の発行にも多少関わっていました。そうした経験もあり社史プロジェクトの担当として実務を担いましたが、全ての社史を扱うのは難しいので渋沢栄一が関わった会社の社史に絞り込むことになりました。社史を特定するには、まずそれを出した会社名を明らかにする必要があります。そのために、渋沢が関わった約500社の名称変遷を全て調べることになり、2008年から5年ほどかけて110枚ほどの変遷図にまとめ、私が手書きした図を専門家に加工してもらい、順次財団ウェブサイトに載せました。変遷図の中には以前勤めた協和銀行東京商工会議所の変遷もいれることができました。また「あらゆる業種の情報が集まっている銀行」で仕事をした経験や、日本経済新聞を読み続けていることも、随所で役立ちました。

この変遷図には、図といっしょに変遷の典拠となる資料を掲載することにしました。例えば渋沢栄一が設立に関わった「第一銀行」は1943年に「三井銀行」と合併して「帝国銀行」となりましたが、その名称変遷の典拠資料には『三井銀行八十年史』という社史、三井銀行の「有価証券報告書」、全国銀行協会の「銀行変遷史データベース」サイトの該当ページなどをあげています。全ての変遷について伝聞ではなく、誰でも確認できる公開された資料を典拠にすることを実践しました。この典拠資料をできれば複数あげる、という作業は、ウィキペディアの記述の典拠をあげるのと全く同じです。典拠のない情報は載せない、という姿勢はこの時に徹底して身につきました。

その後、社史データベースの方は2014年に「渋沢社史データベース」(略称SSD)として公開し、ここにはおよそ1,500冊の社史の目次、年表、索引、資料編データを掲載しました。変遷図の方は渋沢の関わった社会公共事業にも広げ、「渋沢栄一関連会社名・団体名変遷図」として2017年にリニューアルし、SSDと併せて後任者により現在も増殖中です。余談ですが、略称をSSDと決める時には恩師河島正光先生の流儀にならいました。先生は雑誌記事索引JOINT(Journal of Industrial Titles)とか、企業史料協議会のBAA(Business Archives Association)とか、わかりやすい頭字語を考えるのがお得意で、それにより情報を正確かつ簡潔に伝えることができると常々話しておられました。

社史データベース構築検討委員会の座長は、社史研究家の村橋勝子さんでした。村橋さんは経団連図書館に長く勤められ、日本経済の中枢で情報の生成、流通、利用、保存に関わる最前線の仕事を積み重ねられました。『経済団体連合会五十年史』(1999)の編纂にも担当部署の長として深く関わっておられ、編集後記にその過程をまとめられています。また社史だけでなく専門図書館協議会でも幅広く活躍され、その研修事業を通じて多くの専門図書館員を育ててこられました。私は学生時代からお世話になり、村橋さんが図書館関係の雑誌に書かれた図書館業務や社史に関する示唆に富む記事は必ず読んでいました。2002年には、村橋さんの書かれた『社史の研究』(ダイヤモンド社)の紹介文を『図書館雑誌』に書く機会をいただきました。その後に渋沢財団でご一緒できたのはこの上なく光栄であり、身近で多くを学ばせていただいたのは私の誇りです。