渋沢財団での仕事(2)ブログの発信

ストック 2023-01-09 筆者撮影

渋沢財団実業史研究情報センターでは「渋沢栄一や実業史に関する情報をウェブサイトから発信する」というのが仕事のミッションでしたので、2007年からそのツールとして「ブログ」を使ってみることになりました。「ブログ」自体まだ普及し始めたばかりの時期で、まさに手探りの毎日でした。半年ほど準備を重ね、2008年2月13日の渋沢栄一誕生日に公開し、以来平日は毎日更新するようになりました。渋沢栄一の活動範囲は広いので話題はいくらでもあるのですが、それをブログの形に編集するにはそれなりに手間がかかります。私は担当の社史について「社史紹介(速報版)」というカテゴリーを受け持ち、データベース構築中の社史を1冊ずつ紹介していきました。そのうちに「ブログ」自体がデータベースであることに気づくことになります。自分が書いた情報を調べるのに特別な検索手段を構築しなくても、インターネットで検索すれば該当の記事が出てくることがわかったからです。それ以来、ひろってほしいキーワードを記事に埋め込むのも習慣になりました。また社史の年表データを使って「今日の社史年表」というカテゴリーを作ったり、社史データベースの検索例として「おもしろ社史検索」というカテゴリーを作ったりもしてみました。変遷図の方も「変遷図紹介」というカテゴリーで内容や開発状況を紹介しました。なんでも新しい試みはまずブログで紹介する、という仕事の流儀が定着してきました。

そうした作業の最中の2011年3月11日に東日本大震災が発生し、この大災害に際して自分に何ができるか真剣に考えました。そして社史を担当していた私は書庫にあった社史の中から、1923年に起きた関東大震災についての記述をピックアップしてみようと考えたのです。きっとその中には地震災害に対峙した企業の対応とその後の動きが書かれているに違いない、と直感したからでした。実際、帝国ホテル清水建設資生堂森永などの社史には多くの発見がありました。こうして見つかった社史記述をもとに、「社史に見る災害と復興」というカテゴリーでブログに連載記事を書きました。そこから発展して「社史に見る戦災と復興」のカテゴリーを作り、広島長崎の社史関係書籍もいくつか紹介できました。また2016年には、3.11の被災状況を記載した日鉄住金建材の社史を紹介しました。

次に社史だけでなく、渋沢栄一に関する書籍についても「栄一関連文献」というブログカテゴリーに書き溜めていくようになりました。財団の書庫には渋沢栄一に関する書籍が山の様にあり、最初はどこから手を付けたものかと右往左往していました。しかし1冊ずつ手に取り概要をまとめてブログの原稿を作ることを積み重ねると、だんだんにその人物像や事績が具体的に浮かび上がるようになりました。或る程度まとまるとそれらを編集して財団ウェブサイトに掲載する、という手順も整ってきました。このように私は財団在職中ほとんど毎日ブログの記事を書いていたことになります。何件書いたかは数えられませんが、1,500件から2,000件くらいにはなると思います。ブログの手軽さを身に着けたので、2010年から仕事以外でもいくつかブログを始め、現在でも続けています。それは個人の日記というよりも、いつか誰かが使うかもしれない情報をほうりこんでおく、という使い方なので、極力情緒を廃した実務的な記事が多く、コメントは受け付けていません。「情報発信」に特化し、双方向コミュニケーションツールとして使うことは避けたわけです。こうしてブログの編集画面に毎日親しんでいたので、ウィキペディアの編集画面も全く抵抗ありませんでした。

このごろは個人でも団体でも、ブログやホームページを作るよりもTwitterFacebookでの情報発信が盛んです。TwitterFacebookはコミュニケーションツールとしては確かに優れた面が多いですが、新しい情報には便利でも過去の情報を検索しようとすると不便極まりないです。過去の事は忘れ去り、未来しか関心の無い社会には不安を感じます。「未来は過去の中にある」という箴言を忘れたくありません。私はTwitterFacebookもやっていますが、ブログを手放すつもりはさらさらありません。ブログは栄枯盛衰が激しいようですが、私の書いた「はてなブログ」の記事は今でもすべてウェブ上に掲載されています。今回この一連の記事を書くためにも、何度も自分で書いたブログを検索して参考にしました。

このブログでの情報発信は、センターの茂原暢(しげはら・とおる)さん(現センター長)を中心に進められました。最初はなんだかよくわからないブログというものを、皆でああでもないこうでもないと議論しながら構築していきました。私や他のスタッフが記事を書くと皆でそれを検討して原稿を固め、それを茂原さんが上手に編集し、適切な画像を追加して発信しました。議論は時に白熱し、茂原さんと半日口をきかなかったことも何度かありました。しかしウェブの世界という大海を泳ぎ続ける強い意志を持った茂原さんからは、たくさんのヒントをいただいたのも事実です。茂原さんがつけたブログの副題は「情報の扉の、そのまた向こう」というもので、それには「ひとたび『情報』の扉を開けてみれば、その向こう側に、その『情報』にしか持ち得ない風景が遠くまで拡がっているはずです」という思いが込められています。その思いは今でも大切なエネルギーとなって私を支え続けてくれます。

■参考
情報資源センター・ブログ 情報の扉の、そのまた向こう(2008年2月13日~)
穂積歌子『はゝその落葉』 【竜門社,1900】【穂積歌子, 1930】|情報資源センターブログ(2015年3月2日)(「栄一関連文献」の中で特に印象深かったもの)
刊行物から見た渋沢栄一記念財団の歩み / 門倉百合子(2015年8月)