渋沢財団での仕事(5)アーカイブズの話

アーカイブへのアクセス』ほか

ここではアーカイブズとの関りを書いておきます。最初に就職したのは「あらゆる業種の情報が集まる」銀行でしたが、そこに集まっているのは一般の書籍・雑誌の他に、社史、政府刊行物、各種団体が出す灰色文献などがあるものの、全て外部機関が作成した出版物でした。協和銀行では丁度社史の編纂が始まっていて、そのための部署が調査部に設置されていましたが、そこで使われる資料は銀行内部で発生した文書が主で、それらが資料室へ集まることはありませんでした。出版物以外を司書が扱うことは想定外でした。

1989年に設立された記録管理学会に何かの縁で入会し、組織の内部で発生する文書の取扱いについて初めて学びました。学会のプロジェクトで「企業における記録管理の実態調査」という記事をまとめたこともあります(『レコード・マネジメント』第17号掲載)。学会の活動を通じ、情報の発生から組織化、利用、保存、廃棄にいたるまで、一貫した理念に基づいて管理していく方法を知りました。1996年には『はじめて学ぶ文書管理:レコード・マネジメント入門』という本を編集してミネルヴァ書房から出版する機会もありました。確かにこの本には「アーカイブズ・マネジメント」の章がありましたが、当時はまだ司書の目でしか考えていなかったので、アーカイブはどこか別の世界の話の感覚でした。

渋沢財団実業史研究情報センターでは2007年、日米のアーカイブ関係者による「日米アーカイブセミナー」を開催し、その成果は『アーカイブへのアクセス:日本の経験、アメリカの経験』として2008年に日外アソシエーツから出版されました。国内外の一線で活躍する実務家や研究者が熱心に発表し討議する様子に接し、それをとりしきるアーキビスト小川千代子さんと小出センター長の実行力にひたすら感激したものの、この時もやはりまだアーカイブズは私には遠い世界の気がしていました。

一大転機となったのは、2008年秋に小出センター長の指示で参加した、国文学研究資料館主催のアーカイブズ・カレッジでした。「アーカイブ」という言葉には記録資料そのものと、それを保存する建物や組織など二つの意味があることや、記録資料は一つでなく一塊の群で存在することが多いので、「アーカイブズ」と複数形で表現することが多いことなど、基本から学びました。その他にも記録資料は発生順あるいは受入れ順に、ラベルなど貼らず封筒に入れて並べる、という方法を知り、なぜなのかも学びました。仕事をしていたのは渋沢史料館という博物館の建物の中でしたが、博物館でもアーカイブズと同様に資料を扱っていたので、その理由もよく理解できるようになりました。この時になって初めて「アーカイブズ」というものに強く興味を持つようになりました。もとより渋沢栄一の情報は印刷物だけに載っている訳でなく、手書き文書の重要性に目を見開かされた思いでした。「くずし字」にも興味が広がり、2016年から企業史料協議会くずし字研究会で学び始めました。

アーカイブズ・カレッジに参加して (情報資源センターだより 21)(2009年2月)

実業史研究情報センターの社史プロジェクトでは、私の担当した社史データベースの他に、ビジネス・アーカイブズの事業も進められていました。その担当者松崎裕子さんが2007年からメールマガジンビジネス・アーカイブズ通信(BA通信)」を発信されるようになりました。原稿が出来上がるとスタッフ皆でチェックするので、ビジネス・アーカイブズに関する主に海外の最新情報に真っ先に接することができました。松崎さんが紹介される情報は毎号実に興味深く、海外のものも簡潔でこなれた訳文で読むことができ、また欧米だけでなくインドや中国の話題にも触れることができました。松崎さんは国際アーカイブズ評議会(ICA)企業労働アーカイブズ部会(SBL)(現在のビジネス・アーカイブズ部会=SBA)の委員も務められるようになり、毎年メンバーの国で開催される年次集会に参加するため出張されていました。2011年には日本でSBLと企業史料協議会共催の国際シンポジウムを開催するのに奔走され、成果を『世界のビジネス・アーカイブズ:企業価値の源泉』として2012年に日外アソシエーツから出版されています。

企業史料協議会の役員も松崎さんは長く務められ、様々な事業を推進する原動力となっておられます。2013年には『企業アーカイブズの理論と実践』(丸善プラネット)の編集・執筆にあたられています。また必要なことは何にでも、ある時は和装、ある時はラテン語、ある時はWikipediaと、半端でない集中力で挑戦されています。「情報は発信しているところに多く集まる」のをよくわかっておられ、FacebookTwitterでの発信も頻繁です。とにかくエネルギッシュで、深い学識と経験に裏打ちされた行動力は素晴らしく、しかも包容力のあるお人柄に私だけでなく多くの方が魅了されているのは証言者に事欠かないです。2022年には小出いずみさんと共に第23回図書館サポートフォーラム賞を受賞されたのは、真にめでたく嬉しいことでした。

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こうして渋沢財団でさまざまな経験を積んだ後、2017年8月に65歳で定年退職しました。退職の挨拶では、渋沢栄一から学んだこととして「変化を恐れず、新しいことに挑戦する勇気」をあげました。91歳で亡くなるまで社会に尽くした渋沢から見れば、65歳などまだまだ人生の半ばに過ぎません。幕末から昭和にかけて激動の時代を生き抜いた渋沢と自分を比べるのはあまりにおこがましいですが、21世紀の現代もまた渋沢の時代と同様に、あらゆる価値観がゆさぶられパラダイムが変動しつつある激動期であります。その流れの行く末から目をそらさず、20世紀以前には無かったウィキペディアという新しいメディアに挑戦しながら、渋沢の勇気を心にとめて歩んでいこうと思います。