ウィキペディア20年イベント

Wikipedia 20 JPN infromation paper japanese(Araisyohei, CC BY-SA 4.0 , ウィキメディア・コモンズ経由で)

ウィキペディアの執筆は2016年が1件、2018年が4件、2019年が19件、2020年が33件と、右肩上がりで伸びてきました。2020年はコロナ禍で在宅勤務になった影響も大きいです。そして2021年正月に参加した「ウィキペディア20年イベント」についてブログに書いておきましたので、それに加筆して掲載します。自分の感想を改めて読むとずいぶん楽観的な見方だなと思いますが、そういう目で到達点を見据えるもの大事かと。

* * * *

1月23日土曜日は朝からウィキペディア20年イベント」にZoomで参加しました。この企画は、インターネットフリー百科事典「ウィキペディア」が2001年に設立されて20年を祝うイベントで、有志からなるWikipedia 20 JAPAN実行委員会による開催です。オンラインのZoomと同時にサテライト会場が、名古屋市福井市京都府京丹後市兵庫県伊丹市、そして山形県東根市に開設されました。

10時過ぎに始まったオープニングトーク「知識情報基盤としてのウィキペディアは、オープンデータの活用に関する提言などを行なっている、一般社団法人オープン・データ・ジャパンの東修作さん。ウィキペディア20年の歩みをご自身の足跡と併せ、世界全体の傾向と日本の特徴など統計データも使ってわかりやすく話してくださいました。現在の社会の中でのウィキペディアの位置づけを様々な視点から考え、広大なインターネットの世界での自分の立ち位置、座標軸についておぼろげながら確認できた気がします。東さんにはウィキデータでお世話になっていますが、ウィキデータにとどまらず幅広い活動をなさっていることがよくわかりました。

次の「そもそもウィキペディア20年、何が起きたの」は、日本語版ウィキペディアの黎明期を担った3人の若者の話でした。ハンドルネームはsuisuiさん、kzhrさん、青子守歌さんと皆さんユニークです。2000年代初期には中学生の人もいて、最初の10年に何が起こったのか活き活きと伝わってきました。それにしてもアメリカで発祥してからわずかの時間で日本の若者もその中枢を担うようになっていったことに改めて驚き、またそれぞれのお話からその様相を思い浮かべることができました。なにより3人とも単なるITオタクと思いきや、それぞれのまっとうな取り組み方に感動しました。

3つ目のトピックは「大学の人がウィキペディアを編集してみたらどうなるの」。ここでは、武蔵大学の北村紗衣さん(さえぼーさん)、至誠館大学の伊藤陽寿さん、そして早稲田Wikipedianサークルの方たちが登壇されました。お話を伺って、ベテラン北村紗衣さんのおられる大学のような、ウィキペディアを積極的に応援する対応はまだまだ少ないことがよくわかりました。しかしながら私は、大学というアカデミアに所属する学生はもちろん、教職員の方たちにも、ぜひウィキペディア編集経験をつんでほしいとつくづく思います。特に知識の生成と伝達に様々な側面で関わる大学図書館員の皆さんには強く希望します。

午後はまずウィキペディアンが「棚から一掴み」してみたら 2021」。これはウィキペディアンが自分の本棚から本を選んで紹介する企画でした。登壇者はのりまきさん、Mayonaka no osanpoさん、逃亡者さんの3人。最初のお二人も興味深い本を紹介くださいましたが、ここでは逃亡者さん推奨の辺見じゅん著『収容所から来た遺書』が圧巻でした。戦争が終わってシベリアに抑留されその地で亡くなった方が、日本にいる家族にあてて書いた遺書にまつわる物語。1989年に文藝春秋から出版された当時ずいぶん話題になったので気にはなったものの手に取らずにいましたが、文庫にもなっているし俳句のことも話題なので、是非読もうと思いました。著者辺見じゅんの父が角川源義と知ったのは最近のことで、俳人歌人としての父娘の足跡にも興味がわいているところです。

続いて「この人が選ぶ、秀逸な記事」では、のりまきさんの司会でSwaneeさんの「下山千歳白菜」、アリオトさんの金星の記事、さかおりさんのトンネルの記事が紹介されました。どれも知らなかったことばかりで、秀逸さかげんも半端でなく、宇宙の彼方から地面の奥深くまで目の付け所も様々で印象に残りました。またそれぞれのウィキペディアンの方々の執筆姿勢、こだわるところも一様でないことが伝わってきて、なるほどそういうやりかたもあるのかと参考になりました。

最後はウィキペディアタウンサミット 2021」。各地での実践報告があり高久雅生さんの的確なコメントで状況がより詳しくわかりました。残念ながら時間切れで途中退出しましたが、ウィキペディアタウンの取り組みが全国に広がっているのは嬉しい限りです。この20周年記念イベントに参加して感じたのは、Wikipediaに対しては「悪しきもの」にしようという力より「良きもの」にしようとする力のほうが強いのだ、という印象でした。この印象を実態と結び付けてこれからも記事を書いていきたいと考えています。
(元記事:Kadoさんのブログ 2021-01-24)

■参考
Wikipedia:オフラインミーティング/東京/ウィキペディア20年イベント