友達をウィキペディアに誘う

ウィキペディアのロゴ(Wikimedia Foundation, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, ウィキメディア・コモンズ経由で)

2016年にウィキペディアの執筆を始めてから、しばらくは自分一人でああでもないこうでもないとやっていましたが、そのうちに多くのウィキペディアンの方々と知り合い、記事の幅も広がってきました。最初はよく見えなかったウィキペディアの全体像もだんだんに理解することができ、やればやるほど奥が深く際限のない世界が目の前に広がっているのを感じるようになりました。もちろん明るい面ばかりではないですが、物事は暗い面も理解して初めて身につくものです。執筆が楽しくてたまらないと思えるのはなぜか、自分なりに考えてみると、そのひとつは「吸収」と「発散」のバランスがいいことにあると思うのです。つまり、ウィキペディアの記事をきちんと書くためにはそれなりに自分で調べることが必要で、それは「吸収」の過程です。それを公開するのは「発散」です。インプットとアウトプットと言い換えることもできます。吸収するのは若い時期に限られたことではないし、発散するのも同じで、いくら歳を重ねてもこれを繰り返すのは心身の健康に極めて良い事だなあと感じるようになりました。

こうしたウィキペディアの効用がわかってくると、ひとりでやるにはもったいないし、仲間がいれば切磋琢磨できると思い、何人かの知人友人に「ウィキペディアをやってみませんか」と声をかけてみました。典拠資料を調べるのは司書の得意とすることですし、長年の人生経験が活かせる作業だし、インターネットと適当なデバイスさえあれば作業の場所も時間も選ばないし、ウィキペディアにもこういうアプローチは素敵だなあと感じたのも、声掛けをした動機でした。ところが今のところ、全ての声掛けは失敗に終わり、やってみようと腰を上げてくださった方は皆無でした。

声掛けをするときに、私が書いた記事をいくつかピックアップして見てもらったこともありました。私は主に音楽に関係した記事をいくつか書いてきたのですが、そうしたテーマが興味を引かないのかな、と思ったこともあります。人間の興味は十人十色ですし、音楽と言っても「クラシック音楽」に興味を持つ人は少数派だし。音楽関係だけでなく、文学や図書館関係を扱ったこともありました。図書館はともかく文学だったら興味を持つ人は大勢いるだろうし、書いてみたいと思う人もいるはず、と考えましたが、実を結びませんでした。失敗の原因をいろいろ考えてみましたが、結局それは記事の「テーマ」が問題なのではなく、ウィキペディアという一般にはまだまだ馴染みの薄い媒体で情報を発信することに抵抗があるのではないか、と思い当たりました。そして私にそうしたことの抵抗がないのは、50代半ばから「ウェブサイトから情報を発信する」という仕事を毎日のように続けてきたからだ、と気が付きました。必要な情報を単に検索するだけでなく、10年以上にわたり発信してきたという経験があるからこそ、「ウィキペディアで情報を発信する」ことに何の抵抗もなく入り込めたのではないでしょうか。

「ウェブサイトから情報を発信する」仕事をしたのは、2005年から12年8か月勤めた公益財団法人渋沢栄一記念財団でのことでした。この財団は1886年に設立された龍門社という組織に始まる長い歴史をもつのですが、そこに2003年に新たに発足した実業史研究情報センター(現在は情報資源センター)に、縁あって司書として採用されたのです。「集合知を知る」の記事ですこしだけ触れましたが、ここで実際にどのような仕事をしたか、どのような情報をウェブサイトから発信してきたか、またそれがどのようにウィキペディアの執筆につながるのかについて、この機会にもう少し詳しく記憶と記録をまとめておこうと思います。